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Stacks Image 1993
 1945年ファミリー企業としてブリオンベガ社は創設されまました。第二次大戦後のテレビ時代到来の波に乗った同社は、そのプロダクツを常にデザインという意識を持って製品を作りました。
 1960年代からはマルコ・ザヌーソ、リチャード・サバー、マリオ・ベリーニといったインダストリアルデザイン界を代表するデザイナーを起用し、優れたデザインの製品を世に送り出したのです。その、傑作とも言える製品がAlgol-70です。少し上を向いたスリークなデザインはその後のインダストリアルデザインに大きな影響を与えています。数々の優れたデザインを生み出した同社も、ファミリー企業の弊害からか1992年別の企業に買収され終焉しました。
 同社が最盛期であった1960年代末にブリオンベガ家の霊廟がヴェネツィア近郊の町トレヴィソに建設されました。設計はカルロ・スカルパです。スカルパは1906年にヴェネツィアに生まれ、王立ヴェネツィア美術アカデミー卒業後はヴェネツィア建築大学に勤務しながら多くの設計を手がけました。そのデザインは繊細なディテールと大胆な空間構成にあり、日本でも多くの建築家が影響を受けており、現在も人気の高い建築家です。
 デザインにこだわったブリオンベガ家の墓地を、イタリアを代表する建築家が設計したものがブリオンベガ霊廟です。ここではコンクリートをあたかも木材のように使い、まるで工芸品のような表情を持たせています。また、各所に設けられた池や水路はこの霊廟のテーマの一つが「水」であることを感じさせます。秀逸なのは通路を仕切るガラスのパネルです。通常ガラスは通路を横切る水路に没していますが、ワイヤーと滑車を使った装置によって2メートル近く引き上げられ、通路を仕切る役目を果たします。長い間水に没しているガラスは苔や水草の死骸が付着し、引き上げられ通路を塞いだ状態では一種異様な情景になります。そこには死というものの一つのイメージが提示されているようです。
 1978年日本へ講演旅行に来ていたスカルパは残念なことに仙台で客死します。ブリオンベガ家と関係の深かったスカルパの墓は息子がデザインし、この霊廟の一隅にひっそりとあります。
Stacks Image 1994
 ベネチアという街はもちろん魅力的で飽きない街ですが、そのベネチアの回りにも魅力的な小さな街が沢山あります。例えば トレヴィーゾ、アーゾロ、バッサーノ・デル・グラッパ、マロスティカなどです。 バッサーノ・デル・グラッパは最近のイタメシブームで知られるようになった街で、食後に飲む「グラッパ」の名産地です。
 グラッパは葡萄の枝や皮、絞りかすを原料にした蒸留酒ですが、実にエコロジカルなお酒なのです。葡萄畑でつみ取られた葡萄は実を搾ってジュースを取り出し、ジュースはワインの原料になります。残った枝や皮に水を注ぎ再度圧縮機にかけ、ジュースを絞り出します。この搾り取った二番絞りジュースを発酵させワインらしき「どぶろく」をつくり、これを蒸留して得たアルコール度の高い無色透明の液体がグラッパの原酒です。この原酒を寝かせて熟成させグラッパができるのです。圧縮機の中に残った、煉瓦状に固形化した枝や皮は取り出し乾燥させ、蒸溜するときの燃料とされます。そして、燃焼して残った灰は、肥料として葡萄畑にまかれるのです。まさに、輪廻転生のようなお酒がグラッパなのです。
 さて、その バッサーノ・デル・グラッパの隣町にアーゾロという街があります。ベネチアから北西に60Km、標高120mの丘陵地のてっぺんにアーゾロの小さな街があります。ローマ時代から造られた街ですが、中世の街並みが時間が止まったように保存されています。アーゾロは古くからベネチアの貴族たちの別荘地として栄え、ベネチアの文学家ピエトロ・ベンボ、画家のジョルジョーネ、19世紀のイギリスの詩人ロバート・ブラウニング、20世紀の女流作家フレイヤ・スタルク、ヘミングウェイなどが愛した街です。とくにキプロスの王女カテリーナ・コルナーロは1437年にキプロス島をベネチアに譲渡し、代わりにアーゾロを得たほどこの地を愛したようです。現在でもベネチアの上流階級はアーゾロに別荘を持つことをステイタスにしており、街の物価や小綺麗な商店、高級ホテル「プリチンペ」があることからもそれは窺えます。
 街はマジョーレ広場とドゥーモを中心に広がっていますが、一時間もあれば優に見て回れるほどの小さな街です。商店街はポルティコ(アーケード)でつながっており、高級そうな品物が目に付きます。年一回、9月第三日曜にはパーリオ(街で行う競馬)が行われます。町民は中世の衣装を身にまとい街全体が中世に戻る一日です。
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